アフガニスタンの町やエリア別INDEX
忘れ去られた紛争地という過去。
「テロとの戦い」が明言され、ビンラディンとオマル探しが始まるまで、アフガニスタンには何の注目も集まっていなかった。ソ連侵攻から内戦、タリバン時代など、さまざまな時代を経ながらも、国際社会からは放置され、カネと武器だけが流れていたアフガニスタン。イラクを荒らすだけ荒らした後に米軍を筆頭とした西側諸国がやってきて、今では自爆テロが散発する悲惨な戦場となっている。米軍と連合軍が、イラク侵攻を進めていた2004年、総選挙前のちょっとした平穏を狙ってアフガニスタンを見聞したレポートをここにアップします。
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ピースおおさか写真展(地雷廃絶関係)・アジア倶楽部(ケシの代替作物について)など、メディアに情報提供実績があります。他のページは旅行者として作成していますが、アフガニスタンのコンテンツ内は、旅行者という立ち位置ではないことを宣言させてください。
アフガニスタン国内写真のスペシャルコンテンツ『旅写記』
バンデアミール湖
皮肉と言うべきか。長い戦乱と地雷のため、バンデアミールには人口構造物がほとんどない大自然が広がっていた。わずかな轍の痕跡と、数少ない村に住まう人々の家以外、人の香りがしない場所だった。ラピスラズリ色の湖ばかりがクローズアップされるが、曇りの状態もまた奥ゆかしい。湖面は深紫色の鏡となる。忘れられた国の、さらに忘れられた地域に、地球の至宝は静かに眠っていたのだった。
滞在時期:2004年4月
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アフガニスタン国内の訪問した町・エリア
ジャララバード (Jalalabad)
カイバル峠を越えて最初の都市。パシュトゥン人エリアで、パキスタンの隣のということをかなり感じることが多かった。人口も多く、かなり広いれっきとした都市である。
旅行時期:2004年4月
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バーミヤン(Bamiyan)
有名なバーミヤンの遺跡群のある町。中華料理チェーンの名前だったり、タリバンが爆破したりした映像で知名度は高いが、本当はこじんまりとした、ハザラ人の町。
旅行時期:2004年4月
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ドゥシ (Dowshi)
カブールとマザーリシャリフの間。チャリカールから北側へ山を越えた町。それが宿場町のドゥシ。川の側の小さな村で、耕作地があり、マスードの信仰地帯である。
旅行時期:2004年4月
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サマンガーン(Bamiyan)
タフテ・ロスタムという仏教遺跡があるサマンガーンの町は、ドゥシと同じく、カブールからマザーリシャリフ間にある街道の町。チャイハネ以外に宿はない。
旅行時期:2004年4月
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リピートしたい場所:バンデアミール湖、マザリシャリフ (どこも良かった)
次回以降に狙っている未到達の場所:ヤカウラン、ジャム、クンドゥズ、ドスタムパレス、オマルモスク