タリバンに爆破され、危機遺産に登録されているバーミヤン遺跡群を擁するバーミヤンの写真。
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大仏、遺跡、バーミヤンの写真(アフガニスタンの写真)

仏教、チンギスハン、イスラームのパンドラの箱

バーミヤンの写真(アフガニスタンの写真)

サッカーと復興

バーミヤンに到着し、宿を決めた。荷物を置き、外に出ると歓声がする。なんと、草サッカーをしているではないか!その奥にはタリバンに破壊されたバーミヤンの遺跡群。戦乱はここまで落ち着いたのか!と思った2004年の春。
※ご存知の通り、この後、アフガニスタン情勢は悪化していく

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煮込みとナン

夜が更けてきたので、ゴハンを食べよう。アフガニスタンでよく食べられているコルマ(煮込み)とナン。ちなみに日本で食事を「ゴハン」というように、アフガニスタンでは食事そのものを「ナン」と呼ぶ。アフガニスタンのナンは、これでもかというくらい大きい。

バーミヤンの写真(アフガニスタンの写真)

平和で静かな朝

夜が開けた。今日はあの大仏跡まで散歩する。昨日見たサッカーフィールドに人はおらず、静かな朝だった。あの大仏跡の手前には地雷原が広がっているのだ。

バーミヤンの写真(アフガニスタンの写真)

バーミヤン中心部

バーミヤンの目抜き通り。これだけ世界に名を響かせている町だが、高層建築など一切なく、舗装道路もない。人口も驚くほど少ない。

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大仏跡が近付く

目抜き通りを真直ぐ行くと、さらに奥の町へ行く幹線道路と、大仏跡へ向かう道が交わる交差点が現れた。もちろん、大仏跡を目指す。しばらく行くと、目標が見えてきた。

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大仏跡の手前に

道をしばらく歩くと、目の前にサイロのような建物が現れた。そう、あれはモスクなのである。

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広がる廃墟

道の脇には、ただただ静かな廃墟が広がる。いや、廃墟というのは豊かな国から来た、とぼけた旅行者が考えることかもしれない。いまも、この廃墟は家として機能している可能性はあるのだから。

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風変わりなモスク

かなり独自の形状をしているバーミヤンのモスク。素材もレンガ積みで、色合いにも独自性が見られる。

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石積み

モスクの横に川があった。町の人たちがせっせと石を積んでいる。毎年の雪解けや、滅多にない大雨が来る度に、石を積み直しているのだろう。過去の日本でも、よく見られた風景ではないか。

ブラショフの聖ニコライ教会の写真(ルーマニアの写真)

町内交通の要衝

川にかかる橋は2本の丸太。人も自転車も、ここを渡って「あちら側」に行くことができる。

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大仏はそこに

歩いても歩いても、大仏跡には近づけない。じらされているのか、来るなと言われているのか。それでも、なお歩き続け、近付こうとする。

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崖をよく見ると

岩の裂け目に人がいる。よく見ると、煙突やドアがある部分すら見つけることができる。バーミヤン遺跡群は、人の住処でもあったのだ。ただ、政府は住人を追い出したいと思っている。

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ここに大仏が

国際社会の注目を集めるため、2001年2月26日、ここにあったはずの大仏は爆破された。何も言えず、手を合わせるしかなかった。

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大仏の破片

大仏跡の足下には、爆破しきれなかった欠片が散らばっていた。肉体は死すとも、魂は死なず。ここに大仏があったという事実は、人類が滅びるまで消えることはない。

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チャイ屋

町に戻り、メインロードを歩く。チャイ屋が声をかけてきた。断る理由はない。ゆっくりとバーミヤンの午後を楽しむ。

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食料品屋

さまざまな店を冷やかして歩く。こちらの買う気がばれているのか、目配せだけして、あくびをする店主たち。その中で、「おい、おれを撮れ」という店主と出会った。

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最新の音楽は

数少ない庶民の娯楽、音楽。ここでは、インドからイランまで幅広い音楽を取扱っている。ただし、すべてがテープかVCDだった。いまではDVDも普及しているのだろうか。

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ロープなら

縄やロープばかりを売っている店もあった。確かに、農業、建築、生活、さまざまな場面でロープは必要だろう。色とりどりのロープを背景にご家族をパチリ。

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みかん屋

この人は、商売を始めたところなのか、それとも奥地から自分が育てている植物を持ってきたのか。台の上には商品のみかんと、自分のためのお茶しかなかった。

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食糧雑貨屋

みかんや缶詰、乾物などを売る食品雑貨屋。ただ、生のものはみかん以外なく、主に缶詰や瓶詰め、乾物などを売っていた。カメラを構えると、おじいさんは黙ってこちらを向き、撮り終わると明後日の方を向いた。分かっているんだ。

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チャイハネにて

宿の近くにチャイハネ(南アジアの喫茶店の)があると聞いたので、行ってみた。店に入るや否や、「なんか変わってるのが入っていたぞ」と、みながこちらを向く。

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チャイハネにて

のんびりとイスラームのお経を唱え、イスラームの数だけ玉がつなげられている数珠を回す男。ちなみに、彼の前にチャイなどはない。飲食をせずとも、チャイハネに入ってくつろぐことができる。

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チャイハネにて

やはりチャイハネとはのんびりするところ。あちらの男たちも、飲食すらせず、柱に寄りかかってぼーっとしている。

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チャイハネには

そうかと思えば、このように熱弁を振るっている連中もいる。警察のような帽子を被り、書類をもっている。手前にはオレンジジュース。うむ、こいつは給料をもらえる職業だ。

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チャイハネにて

突然、隣の男が無言で肘で小突いてきた。ポケットに手を入れ何かを取り出す。何だ?何だ?銃か?ケシか?何なのだ?と身構えていると、出したのは小鳥ではないか。それを見て、さっきまでお経を唱えていた男が駆け寄ってきた。

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チャイハネにて

小鳥騒動は、このチャイハネでちょっとしたムーブメントを巻き起こしたのだが、奥にいる人生経験豊かな爺様たちには届かない。日本と同じ風景である。

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チャイハネにて

その後もいろんな男たちが話しかけてくれた。このようなやさしいおじさんや…

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チャイハネにて

このような日本でもいこうな青年、

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チャイハネにて

そしてサモハンキンポーのような兄ちゃんまで、人々がたくさん話しかけてくる。
チャイハネに行けば、日本人が来たということを人々が知り、たいていはやさしく接してくれる。ただ、いまの政情では、いち早く良からぬ人たちに自分たちの存在を教えてしまうことにもなりかねない。

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丘へ

バーミヤンという町を丘から見てみたくなり、大仏とは逆側の丘を登ってみた。

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丘の上には

車の影に誰かがいる。

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長寿を祈って

近付いて行くと車の影にまだ何人かいて、片言にもかかわらず話が弾んだ。記念に写真を撮ってくれ、ということで撮影。みんな、長生きしてくれよ。

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バーミヤンの鉄条網

丘の上には鉄条網が貼られている。この広大な大地で誰から何を隔てたいのか。意味が分からなかったが、しばらく歩くと理由が見えた。

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数百メートルの格差

国連とアフガニスタン国軍のベースキャンプがあったのだ。また、ニュージーランド国軍が展開しており、幸いにも中に入れてもらえたが、中は撮影NG。
よく考えてみると当然なのだが、キャンプ内には、娯楽施設やスポーツジム、新鮮な野菜や果物があった。
※写真はアフガニスタン国軍のヘリコプター

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現実の見え方

形としては「見せてもらった」「慰問」、いろんな見方ができるが、キャンプから出るといつものバーミヤンが広がっていた。どちらが現実か分からない。いや、どちらも現実なのだ。鉄条網の中に大仏跡が見えた。

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繰り返す争い

丘の上をうろうろしていると、戦車の残骸が見えた。ソ連侵攻、ムジャヒディンの抵抗、民族同士の血で血を洗う争い、タリバンの台頭。そして、タリバンの駆逐。いつの時代も武器があふれ、朽ち果て、新しい武器がまた支給されてきた。

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新しい世代

この子は戦乱の世しか知らない。バックパッカーにとって「天国のような場所だった」というアフガニスタン。いまでは別の意味で天国に近い場所になっている。生きるのだ、少年。なんとしても。

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志願

突然、警備の人数が増えた。何があるのかと思っていると、いきなり背筋を伸ばした男がいた。自分が写真に撮られると思って、姿勢を正したのだった。そんな彼をスルーするわけにはいくまい。

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不要な存在

警備が増えた理由が明らかになった。UNのオフィスだったのだ。もちろん、UNの介入でいろんなことが解決につながった例は知っている。だが、この国ではどうなのか。成果は聞こえて来るとおりなのだろう。

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哀しいはためき

UNのオフィスの近くに時計台のような場所があった。周囲より一段高くなり、アフガニスタン国旗がはためいている。普通、このような場所は住民の憩いの場になるはずである。しかし、人っ子一人いないまま、時計は時を刻み、旗が揺れていた。

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この町のトップ

中部地域の指導者アブドゥル・アリ・マザリ。イスラームが浸透し、偶像崇拝をしない国ではあるが、指導者だけは別のようである。

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美しき展望

UNやニュージーランド軍がある丘の隣の丘にも登ってみることにした。ちょっとした小高い丘だが、バーミヤンの町が一望できる。さて、この丘には何があるのか。

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次の丘の上では

土壁でできた、まだ新しそうな廃墟が広がっていた。

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人の気配がする廃墟

そんな中に、さらに新しいと思われる土壁と、窓までついた建物もあった。中に人の気配がする。帰ってきて修繕したのだろうか。

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戦車という遊び場

さらに行くと畑があり、畑の中に動かない戦車があった。近付こうとするが、畑の中にもし地雷があったら…と一瞬躊躇する。頭の中で、誰かが歩き回り、耕してきたから農地になっていると納得し、歩を進めた。砲台に乗ると、どこからともなく子どもが現れ、砲芯を回して遊んでくれた。

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戦車という商売場

戦車の中はがらんどうだった。取り外せる部品やパーツはことごとくはずされ、持ち運ばれていた。ソ連製の戦車も、アメリカ製の戦車も、動かなくなればただのパーツ市場でしかないのだ。

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朽ち果てるということ

今日も、明日も、このカラッポの戦車は子どもたちの遊び場となり、夕方を迎えるのだろう。毎日、同じことを繰り返すだけの戦車が鈍く光っていた。

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おやすみなさい

日が暮れてきて、遠くの民家にも明かりが灯りはじめた。束の間の平和だからこそ、夜にライトを付けることができる。
※アフガニスタン情勢はこの2004年を境に、また悪化に転じた。

世界の標識コーナー内にLinkIconアフガニスタンの標識のページもございます。あわせてご覧ください。