天安門広場に集う北京市民たちの姿
長安街の昼下がりを自転車で
昼下がりの10/2北京。国慶節の翌日という特殊な日に、前日、大規模なパレードが行われた長安街を自転車で走ってみることにした。
天安門へ向かう
自転車の道はとても空いている。横の歩道は歩行者でいっぱいだ。
気質の違い
自転車やバイクで天安門前へ向かう市民と団体になる。気が早い中国人たちが抜いて行く。ゆっくり行こう。ゆっくり見たいから。
人が増えていく
天安門に近付くほど、どんどん人が増えていく。歩道を歩けなくなった人が車道にまであふれていた。
公安の交通整理
天安門が見える場所に公安が陣取っていた。とはいえ、大切なことは昨日の国慶節。今日は、気を張りつめてまでは警備していない。溢れる人民に対して笛を吹いて注意する程度。昨日がよほど特殊な日だったことが、これだけでも分かる。
地下道からも人民が
天安門に近付くほどに人が多くなる理由が分かった。向かいの天安門広場付近から人がこちらに流れてきているのだ。途切れることなく出てくる人、人、人。ここを訪れたい人はとても多いのだ。
自転車専用道路
柵にへばりつく人たちの前を、のろのろと自転車で通行する。
柵にへばりつく人々
みんなそこに天安門があるのに、柵にへばりついて天安門広場の方角を見ている。
天安門広場横のスクリーン
その理由が分かった。昨日、散々見たはずの大閲兵の様子を、この大画面で見ているのだ。
こんな人も
角刈りのオヤジも、マンガ家の蛭子さんにどこか似たおっちゃんも、画面を食い入るように見つめている。
あんな人も
噴水をバックに写真を撮られているなど気付かないほど画面を見て満足している。
そんな人も
かなりの数の人たちが画面を食い入るように見ているのだった。
晴れの天安門
人工降雨により完全に晴れた天安門上空。地上では、いつもよりたくさんの人民が集まっていたのだった。
天安門広場は
天安門広場にも、どうやらたくさんの人がいるようだ。あ、あれは昨日見た出し物。
天安門広場の中心ライン
毛主席記念堂の方角を見ると、普段はない孫文の肖像画と、花束が見えた。
生活道路
「どいて、どいて」。後ろから声がしたので振り向くと、急いでいるおじさんが自転車をこいでいた。天安門の前とはいえ、生活で使う人もいるのだ。
文化建設
市場経済導入から20余年。建国から60年。文化とは建設するものなのかどうなのか、その答えは出ていない。
車を人に見立てて空想する
望遠レンズから目を離すと、目の前をたくさんの車が通って行く。昨日、ここでは軍隊や兵器、優秀なる人民たちが練り歩いていたわけだ。
天安門からの視線
肖像の中のあなたは、いまの中国をどう見ているのでしょう。
人が人を呼ぶ
天安門の前の人口は、どうやら西側よりも東側が過密だった。こっちまで来ればゆっくり眺められるのになぁ。
ナンバー
昨日、「06」という番号を与えられた隊は、ここを起点に整列したのだろう。おそらく、この数字のマーキングは、多大な交通と清掃車によって、剥がれていくに違いない。
路上のルール
気をつけて道路を観察すると、そこら中にマーキングがされていた。
長い道のり
人民大会堂を越えて、国家大劇院が見えてきた。相変わらず天安門を目指す人たちの列が途切れることはない。
天安門広場側に向かう
人民大会堂と国家大劇院に挟まれた交差点から、向こうに渡れるようだった。自転車に乗った中国人の数人も、この様子を自転車から眺めようという魂胆らしく、見たことがある顔も数人。
左折
中国は右側通行。左折の時は、日本の右折のように注意が必要で、対向車が行き過ぎるのを待つことが多い。
車がいない道
逆車線はなんと自動車の規制区域。しかしながら、自転車は通行可。こんなチャンス、滅多とない。天安門前の道路のど真ん中を優雅に走行する。
広い空と広い道路
調子に乗って中央分離帯付近まで行ってみたが、特に公安から注意されることもなかった。天安門広場に向かう群衆の誘導に必死だったのだ。
現代の交通事情
天安門の前まで来ると、アスファルトの舗装から、石畳に変わる。そりゃそうだ。歴史を辿れば、前門から景山公園までは、縦に連なる建造物として扱わなければならない。
リピート再生
人民大会堂の方を見ると、逆サイドで見た巨大なモニターがこちらにも据え付けられていた。昨日の軍事パレードの様子をひたすら繰り返して放送していた。
56の柱
国内に住む民族を柱に模して天安門広場に建てたらしい。同じ大きさで同じ感覚だが、やはり天安門に近いほど、よく聞く民族が配置されている。
広場の前へ
人民大会堂と巨大モニタの横を通り過ぎると、視界が開けた。天安門広場に差し掛かったのだ。
中心を目指すも
広場の中央部に五星紅旗を掲揚する壇があるのだが、その周囲は進入禁止。みんな、できるだけ中心付近で記念撮影したいらしく、特に人口密度が高かった。
カメラの前の中国人
中国人の子どもは、基本的に目立ちたがり屋が多い。そして、カメラの前で大きなポーズを撮ることも一般的だ。坊主頭の子が「これ、どう?」と自信満々で叫んでいた。
規制区域の至近にて
みんなが来れないところに自転車なら来ることができる。
近くて遠い門
せっかくなので、中心ラインから天安門を撮影してみた。左右対称の真ん中に立つと、やはり見え方が違う。
抜けるような青空
中心から東側を目指す。空が本当に澄み渡っている。前日は、数百メートル先が強く霞むほどの状態。あらためて、意地というかムチャを感じる。
食事をする人
きっと、ここで食べることを決意していたのだろう。遠い目をして、軽食を食べているが、一体何を話しているのやら。
現在の常識
当たり前ではあるものの、記念撮影をする人がとても多い。中国にここまでデジカメが普及するとは誰が予想しただろう。
もうちょっと右
誰もが記念撮影をしている。世界中どこでも、撮る人と撮られる人を観察することは、とても楽しい。
みんなでカメラ
一生に一度の記念とばかりに、ひたすら写真を撮影する人々。あ、自分もそんなに大差はないか…。。
誰もがカメラを持つということ
自転車から写真を撮影している僕を珍しく思ったのか、一家が笑顔でこちらを見ている。お父さんは僕にピントを合わせて、はい撮影。まさか被写体になるとは…。
人と軍事
平和的な撮影会という雰囲気を打ち破るかのように、後ろの巨大モニタは戦車の行軍を映し出す。軍事とは何なのだろう。
柱の内側の群衆
巨大モニタの前はかなりの人気。人が群がりパレードの様子を凝視している。その後ろに民族を意味する柱。ちなみに、こちらの列は内側から「漢族」「回族」「ウイグル族」である。
無人の道路
パレード前日も見た、自動車が一切いない天安門広場の横の道路。56の民族の柱とともに、建国60周年の国慶節だからこその風景である。
モニタを撮る人
おばさんが娘にカメラを手渡した。「これを撮りなさい」。今日から年末まで何度も繰り返し放送される番組をカシャカシャとたくさん撮影していた。
休憩する人々
なんでこんなところに座るのか。この時は分からなかったが、夜に体感することになった。人混みの中、座る場所もなく、かなりの距離を歩かなければならないわけで、どうしても休憩したい人が出てきてしまうのだ。
自転車と歩行
欲張っていろいろ見ようとゆっくり自転車をこいでいたら、たくさんの人に追い抜かれた。歩道と比べ、自転車に乗っている人は優雅に走り去ってゆくのだが、二人以上のグループの場合は談笑しながら走り去ることが多かった。
はためく五星紅旗
かなり多くの五星紅旗が掲げられた国家博物館。もちろん今日は休館である。
どうしても行く
子どもをおぶって必死の形相で歩く。そうまでしてでも行く。行楽なのか、義務なのか、日本人からはかけ離れたイベントであることは、間違いない。
天安門付近の周回を終えて
南池子の門から国家大劇院まで行って折り返すという、2km程度の道のり。軍事パレードの翌日、天安門の周辺は、とにかく人、人、人。普段では見ることができない、国慶節休暇でしか見られないものがたくさん用意されていたのだった。