庶民の台所、混沌の中心部、首都デリー
ひっそりと佇むデリーの夜
デリーの夜。22時を過ぎると、人通りはぐんと減る。いたるところで街灯がオレンジ色に輝き、インド亜大陸ならではの湿った空気が体を包み込んでいた。どんな明日がやってくるのだろう?
サダルストリートの朝
デリーの朝は早い。人々が歩く雑踏と、ざわざわという話し声の塊に加えて、頻繁にリクシャのクラクションが聞こえてくる。寝坊したくても町がそれを許さない。
街は夜明けから動く
午前8時にもかかわらず、もうずっと前から街は活動を開始していた。露天商は商売をとっくに始めており、買い物客の手にもビニール袋がぶら下がっている。インドの朝は早い。
小さな自由はインドの証
出掛ける前に宿の近所で腹ごしらえ。見つけた食堂に入ったら、「どれにする?」と聞かれた。もちろん、カレーしか選択肢はない。やって来たカレーを食べていると、従業員は客のことなどそっちのけでアイスを舐めていた。
インドの食の彩り
食堂を出ると、カラフルなスパイスを売る店と出会った。もちろん、自炊をする機会もないので購入なんてしないのだが、店員さんは「このマサラはとてもいいんだよ」と商売トーク。インドの商売人は、誰が相手でもがんばるのだった。
マサラの横には米が並ぶ
スパイス屋の横では米屋が、さまざまな米を取り扱っていた。見た目も値段も微妙に違う。日本人はインドの料理をカレーと総じて言うが、実はさまざまなスパイスを幾通りにも配合することで、まったく異なる味を生み出せるのがインドのマサラ料理。米だっていろんなものがあってもおかしくない。
チャイに並ぶ庶民飲料
次に出てきたのは、ラッシー屋。おやじたちが列をなしてヨーグルトドリンクを飲んでいる。大きな釜でゆっくりと牛乳をヨーグルトに変化させるラッシー屋はインドの風物詩だ。
ペダルに合わせて景色が流れる
ちょっと遠くまで行ってみよう。自転車の後ろに客席が付いたリクシャを見つけたので乗ってみた。原動機を積んだオートが増える一方で、もう見かけることが少なくなってきている人力リクシャ。3月のデリーは、すでに暑い。カラリとした大陸の空気をまとわりつかせながら、リクシャワーラーのこぐペダルのリズムに合わせてゆっくりと景色が移動していく。ゆっくりだっていいじゃないか。
神様のペイントを門に描く
渋滞でリクシャの足が止まった。目の前には派手な門。シヴァやパールバーディー、ガネーシャなど、インドの神様は庶民に人気で、カレンダーがお店に飾られていたり、門扉にペイントされたりしている。描くウデは関係ない。愛情のカタチである。
小さな欲望と行動の関係
日本人は、ちょっと「●●をしたい」と思っても周囲の目が気になると行動に移せない。しかしながら、インド人は、誰にも迷惑をかけない小さな欲望には素直。「あ、あの隙間をくぐりたい。近道できる」と思ったら、素直に行動してしまうのだ。
国の機密事項
変な落書きを見つけたのでリクシャを降りた。写真を撮ろうとすると「ダメだ!」と警備員の声。おそらく「建設中の地下鉄=機密事項」なので撮影はダメだと言ったのだろう。しかし当時の私には「こんな恥ずかしい落書きは撮らないでくれ。国のは恥だから」と言っていると感じたのであった。
謎の白い小さな建物を発見
家かな?何かな?とても中途半端な大きさの白い建物があったので、何だろうと近づいてみた。
直訳は公共の便利?
PUBLIC CONVENIENCECと書いてあったその建物は、ただの公衆トイレだった。近づくに従って、ニオイがきつくなる。近くに住んでいる人は災難な存在だ。
ビジネスマンに人気の隙間
ぐるりと区画を回って、またリクシャを降りたあたりに戻ってきた。一人が堰を切ると、どんどん真似する人が増えていくインド。この小さな隙間はいま、「みんなが横断中にくぐりたい隙間」となっていた。
パキスタン大使館にて
ついでに次に行く予定のパキスタン大使館へビザを取りに行ってみた。商人だろうか、いろんな人がVISA窓口に殺到していた。男が並び、女が荷物番をする。日本よりも役割分担が徹底されていた。
小さな窓口を目指す
VISA窓口に行くと、長蛇の列ができていた。とにかく進むのが遅い。窓口付近では、列が崩れ、人が殺到している。その割には、怒号や叫び声は聞こえない。インド独自の行列である。
VISAが取れても
たとえVISAが取れても、この荷物をどうするのだろうか。列車やバスのチケットはすでに持っているのだろうか。謎は尽きないアジアの大荷物行列はインドでも見かけたのだった。
宿のエリアに帰ってくると
サダルストリートに帰ると、日が暮れかけていた。いつもと違う道を通ると、おかしな看板が出迎えてくれた。ちなみにこの看板は薬局のものである。
庶民の台所として
日が傾いてくると、サダルストリートは一層のにぎわいを見せる。買い物帰りのサリーを着たおばさんや自転車で人混みをすり抜けていくお爺ちゃん、近所の人とお喋りするおっちゃんなど、ヒンディー文化の雑踏となる。
家路を急ぐ人たち
仕事を終え、買い物も終えた者から、家へと帰ってゆく。日本と違うことは、太陽が昇る頃から仕事をして、太陽が沈む頃には家族の元へ帰るという人間的な生活。
デリー商人のスタンス
庶民の台所のサダルストリートは、一方で旅行者の集う安宿街でもある。食堂や土産物屋は、旅行者が観光から帰ってきた夕方もかき入れ時。灯りを早々につけ、人々の興味を惹き付けようとする。
日が沈み明日が来る
人はせわしなく動き回り、オートリクシャはけたたましく通り過ぎてゆく。今日が終わっても、また明日がやってくる。カラスは鳴き、インド人に小石を投げられる。街に灯りがともる寸前のひととき。
帰宅の合図
店に灯りがともりはじめた。「今日の仕事もそろそろ終わりだな」と爺さんがつぶやくと、嫁と孫たちが現れた。そろそろ店を閉めて家に帰ろうか。
みんな明日へと向かう夕暮れ
この空は明日へと続いている。この道も明日へと続いている。夕暮れは明日へと向かう準備の時間。夜遊びなどが少ないインドでは、太陽とともに生活が営まれている。
オールドデリーの八百屋街
サダルストリートから一本裏側の八百屋街では、まだまだ活気が残っていた。野菜や生鮮食品を売るお店が、本日最後の商いと気合いを入れ、主婦たちも良いものを買おうとしているのだ。
その人との距離
ちょっと写真を撮ろうと立ち止まると、人の流れを堰止めてしまう。本来なら怒られそうだが、デリーの人たちは、すいすいと避けて家へと帰ってゆく。人間と人間の距離がよくできた国なのだ。
昔からの商売を継続するチカラ
一方で、本日の商いを終える店も出てきた。パチパチとソロバンをはじく音がする。電卓を使っている商人もいるが、ソロバンを使い続ける商人もいる。
閉店時間はタバコで一服
「じゃぁ、今日はここまでにしようか」。商品を並べ直している使用人に、そのおじさんは話しかけた。胸からタバコを取り出して、一服する充実感を彼は毎日味わっている。
トマト屋との交流
トマトをたくさん取り扱っている店を見つけた。昔ながらの秤を使って、キロ単位で小売りしている。「いらっしゃい。トマト?」。「いえいえ、ただの旅人です」と答えると、「どこから来たの?ジャパニ?」と人懐っこく話しかけてくれる。自慢のトマトとともに写真を撮ってあげるととても喜んでくれた。
タマネギ屋との交流
トマト屋のおじさんの写真を撮ると、遠くから「おい、ジャパニ」と隣の店から声がかかる。今度はタマネギをたくさん取り扱っている店だ。「おれもタマネギとともに格好良く撮ってくれ」。ちょっとしたことで、街の人が次々と話しかけてくれる。
子どもたちとの交流
「おい、ジャパニのお兄ちゃん」と声がした。どこかどこかと探せば頭の上。子どもたちが小さな窓から顔を出していた。「トマト屋とタマネギ屋を撮ったなら、僕たちも撮ってよ」。夕闇の中、突然の来客の相手をしてくれる包容力。
苦虫をかみつぶした表情
この写真撮影の様子を、しかめっ面で見ていた雑貨屋のおじさんが「おい、ジャパニ」と低い声で話しかけてきた。注意されるのかと思えば、「あの〜、ワシも記念に撮ってくれんか…」。おじさんは、恥ずかしかっただけだった。
ラッシーを飲みながら
何枚撮ったか分からなくなるほどシャッターを切り、八百屋街を出た。喉が渇いたので、昼間に寄ったラッシー屋を訪れた。「お、また来たね」。気楽に話しかけてくれる。それが、デリーのホスピタリティー。
混沌こそが日常の証
過去の昨日も、現在のいまも、未来の明日も、ずっとずっと繰り返されてゆくオールドデリーの雑踏は、混沌にして人間の営みそのものだった。明日も、デリーはデリーらしい。