崖の上のゴンパと農村、信仰厚いラダッキの村
月面世界での移動
バスゴへと向かう道。ここがムーンランドと呼ばれる理由が分かる。草木のない乾いた大地。空は宇宙に近づいた色。雲が静かに流れてゆく。
バスゴのレストラン
バスゴについて、すぐにレストラン兼雑貨屋に寄ってみた。客はいない。「お〜い、誰かいませんか?」と人を呼んでみた。
初玉子
なんと玉子があるではないか。冬のラダックでは、玉子を輸送することも、保存することも難しいので、なかなか玉子に巡り会えない。
エッセイ/この写真あの記憶『玉子待ち』
玉子焼きを注文する
奥をのぞくとおっちゃんが何かをつくっていた。「玉子焼きちょうだい。あとチャパティー」と声をかける。「はいよ」と軽快に返事が聞こえた。
チャパティーをこねる
どうやら朝早かったため、まだチャパティーを仕込んでいたようだった。おじさんの手元で小麦粉のかたまりが踊る。
土地の神様に感謝する
出てきた待望の玉子焼き。おそらくこの年のラダックにいる人間の中でも、かなり早めに玉子を食べたと思われる。
手があけば
「どう、おいしかった?」と声がしたので振り向くと、おじさんはコックさんではなく、マニ車を持った普通のラダッキになっていた。
オム
腹が満たされたので、祈りの声がする方へと散歩する。この建物のスピーカーから読経が聞こえていたのだ。
どこの者かと
冬に日本人を見かけるのがそんなに珍しいのか、ジロリとおじさんに見られた。と思ったのも束の間、柔和な笑顔になり「どこから来たの?」と尋ねてくれた。
祈りの集会
中に入るとバスゴに住むラダッキが集まっていた。
正座の文化
驚いたことにラダッキも大切な場所では正座をしていた。靴を脱ぎ、ひんやりとしたお堂に正座している。
ラクな姿勢で
あぐらをかいて柱にもたれているおじさんもいた。読経は背筋を正して聞かせてもらうものというよりは、リラックスして聞き入ることで仏と一体となるものかもしれない。姿勢は思うがままで良いのかもしれない、と思った。
紡がれるマントラ
プージャが始まった。体育館のような施設内の壇上に、おそらく近所の大きめの寺院から高僧が遣わされているようだ。人々が口ずさむ、オム・マニ・ペメ・フム。
悟りへ
慈悲の化身である観音菩薩の「オム・マニ・ペメ・フム」という真言を唱えることで、悪業から逃れ、徳を積み、苦しみの海から出て、悟りを開く助けになると信じている。
崖の上のバスゴゴンパ
崖の上にゴンパがあるという。せっかくだからご本尊にお会いしたい。その思いだけで、道か岩か分からないようなトレイルを登り始めた。
美しきバスゴ村
岩を一段登った時にインダス川方面を見た。バスゴ村や山脈がよく見える。来て良かったなという爽快感が満ちてゆく。
音と岩
息切れしながら急な崖を登ってゆく。心臓の音と呼吸音、風の音ばかりが聞こえる。
高度を上げてゆく
斜度がマシな場所を探しながら登ってきたので、ひどく回り道。ひと休みしようと顔を上げると、高度が上がっていた。
崖を登ったその先には
大きな岩を登ると、やっと見えた。バスゴゴンパだ。チベット・ラダック文化圏では、険しい場所にこそ神は住んでいる。
空に近づくということ
来る道が道だけに、たどり着いた感慨もひとしお。一歩でも神様に近づくために、努力するということは、ひょっとして素晴らしいことではないだろうか。
手を合わせ感謝する
「よく来たね」。勘違いかもしれないけど、神様がそう語りかけてくれている気がした。僕は今日という日とこれまでを感謝した。
太陽に照らされる月面世界
次のお堂へ行ってみようと外へ出ると、最高のプレゼント。ムーンランドの大パノラマが目の前に広がっていた。
空の隙間で
建物と建物の間を歩いてゆく。ただの通路かもしれないけれども、なんかありがたい気分になってゆく。扉と通路で別の世界へ移動できる感覚。
鳥の目線で
通路を抜けるとまた視界が開けた。今度はバスゴ村がよく見える。バスからでは見えなかったけど、ここは農村なんだ。
崖の上のゴンパから
玉子焼きを食べたレストランやプージャをやっていた建物があんなに小さい。よくこんなところにゴンパを建てたものだ。
あの場所はどのような
顔を進行方向に戻すと、何だか分からない構造物。一体どんな空間なのか、期待が膨らむ。
運命に導かれるように
他のゴンパと同じく鍵がかかっているところが多い。この鍵を開けてもらわねばと思案していると、「行こうか」とおじいさんの僧侶が現れた。まるでこの時間に僕が来ることを分かっていたかのように。
迷いなき礼拝
僧侶に着いてゆく。迷路のような細い道をスムーズに抜けてゆく。
えにしの写真
「ここ写真撮らなくていい?」と、僧侶が気を利かせてくれた。これまでの外国人旅行者の撮影ポイントだったのか、僧侶のお気に入りのスポットかは知る由もないが、何かの縁。パチリと写真を撮影する。
さらに一段上の世界
さっきうろうろしていたところが一段下に見えた。さらに高度が上がり、向こうまで見渡せる。建物の中心からは天に向かってタルチョを巻いた棒が建てられていた。
バスゴゴンパの中心部
「ここだ」と僧侶はつぶやいた。乾いたパチンという音で鍵が開いた。
まずは一礼
僧侶はまず自分からご本尊に一礼した。近づかないとお顔を拝見できない、典型的なチベット密教の寺院の作り。
ご本尊のやさしいまなざし
口からは自然に「オム・マニ・ペメ・フム」と真言が出てくる。ご本尊に一歩一歩近づいてゆくと、お顔を拝見することができた。
二体の人形
ご本尊のお膝元に二体の人形が捧げられていた。僧侶に聞いたものの意味は分からなかったが、大切に大切に掲げられているのだった。
太陽光と仏教画
壁を見ると、仏教絵画が所狭しと描かれていた。二階のガラスの隙間から太陽光が降り注いでいる。その迫力にただただ見入ってしまった。
旅人への慈悲の心
ゴンパの中をジックリ見ている間、僧侶はただ無言で僕を見ていた。もっといたいと言えば、いくらでも待っていてくれたに違いない。遠方からバスゴの地へ訪れた旅人への慈悲の心。あたたかい気持ちに包まれたのだった。
ありがとうバスゴ
「もう一度だけ」。そう言って、僕はご本尊にさらに一度深々とお辞儀をしてお布施を渡し、バスゴゴンパを出ることにした。