ザンスカールへの入り口となる鍛冶屋の村
ザンスカール川が見えた
インダス川とザンスカール川が出会っていた。このザンスカール川の奥に目指すチリンがあるという。
ザンスカール川の鉄橋
チリンまでの道のりでは、何度かザンスカール川を渡る。意外にも立派な鉄橋が架けられている。
大自然のアート
造成されたわけでもないのに、一定斜度の斜面が現れた。起伏に沿って雪が斜面に表情を付け、今日この日だけの表情を見せている。
山と川しかない世界
行けども行けども、山とザンスカール川があるだけ。寒空の下、本当に進んでいるのか疑問に思えてきた。インド製ジープのエンジン音だけがけたたましく鳴り響いている。
氷の赤ちゃん
緑青のザンスカール川を見ていると、川面に何かが流れている。よく見ると小さな氷の結晶だった。次から次へと氷の赤ちゃんが流れてゆく。
砕け散る霧
尾根を見ていると、霧の塊が流れてきては砕け、また集まりながらどこかへ消えてゆく。川も山も、破壊と創造が毎秒行われていた。
砂の道
ジープはそれでもどんどん進んでいく。ドライバーが「もうすぐチリンだ」と教えてくれた。
誰がために道はある
雄大な自然のアートを見ていると、一定の標高を貫く一本のトレイルを見つけた。誰が何のためにあそこを歩くのだろう。
鍛冶屋が住むチリン村
チリンは鍛冶屋が多いという。17世紀前半にシェイのトゥバゴンパの大仏鋳造の際にネパールより招かれた4人の仏師は、作業終了後もネパールに戻らずにチリンに定住した。そんな話を教えてもらいながら、ザンスカール川に入って初めての家が見えてきた。
チリンに到着す
先ほどの家からしばらくして、レストランの看板を掲げる建物が出てきた。ジープが止まる。どうやらここがチリン村のようだ。
鍛冶師の音
レストランの様子を見に行くと鍵が閉まっていたが、近くからカンカンと音がする。音がする方へ行くと、炭が真っ赤に燃えていた。
銅を打つおじさん
鍛冶師のおじさんが打っているのは、銅。ここチリンは金細工と銅細工で有名で、住んでいるほとんどの人が鍛冶屋で生活している。住み着いたネパール人鍛冶師の子孫だという。
マイナス15度の散歩
鍛冶のスペースの横でテントを張っても良いと言うので、荷物を置いてチリン村を散策してみることにした。でも、どこへ行けば良いのだろう。
住居なのか廃屋なのか
ザンスカール川が流れる音と風の音だけしか聞こえない。目の前の家に人が住んでいるのか、それとも廃屋なのか分からない。
チリンの魂
ゴンパがあったので、訪れてみた。大きくはないが、きちんと管理されている。きれいで、ありがたい仏像が何体もあった。自然と背筋が伸びる。
伝統的な彩色
ゴンパの内部は仏画でいっぱい。仏教の言い伝えが描かれているのは、アジア各地の仏教遺跡と同じ。ラダックが大きく異なるのは、祖先から伝えられた管理方法で、歴史的観点から正しいリニューアルがなされていることだ。生活と歴史が密接に結びついている証でもある。
やさしく見守られ
気付けば千手観音が旅人を見ていた。この先、ザンスカール川を歩いて旅するが、根拠もなく無事で生きて帰れる気がした。やわらかな空間、それがラダックのゴンパ。
信心と行為
ご本尊の前には高層の写真。チベットでは許されないことが、遠く離れたラダックでは当たり前のこととなっている。いや、こちらが正しいだけなのだ。
スピトクで会った神様と再会
スピトクのグストルで見た神様たちがゴンパの外壁に描かれていた。配色に黄色い部分がないため、独特の色合いとなっている。
もうひとつの世界
案内してくれた地元の方が、「もうひとつ扉がある」と連れて行ってくれた。この先にはどんなものがあるのだろう?
チリン村を守るもの
ドアから中に入ると、経典がたくさん納められている部屋だった。私たちのためだけに、こんなにも大切な場所へ誘ってくれるなんて。気付くと私は手を合わせて拝んでいたのだった。
文化の伝承
案内してくれたのはおじいさんと孫娘。おじいさんは冬場、来客のたびに手入れをしているという。孫娘は、おじいさんがしていることを眺めて覚える。
ゴンパに描かれた仏画
おじいさんと孫娘に何度もお礼を言い、ゴンパを後にすることにした。なんと、温かくありがたい空間だったのだろう。
眼前に広がる厳しい世界
美しいチリン村の魂を感じるゴンパから、一歩外に出てみると、状況は何も変わっていなかった。今は冬。川すら凍る氷点下の世界なのだ。
感謝を胸に
ガタン。音が鳴ったので後ろへ振り向くと、おじいさんがゴンパの扉に鍵をかけていた。私のためだけに鍵を開けてくれたのだ。また、お礼を言った。「いいよ」と答えてくれる。ありがとう。
風と旗の禅問答
人の気配がしない寒空の散歩。歩いていると、赤い旗が見えた。風が吹けばはためき、風がやめばダラリと垂れ下がる。人生、肩肘張らずに、こんな感じで生きれば良いのだろうか。
ヤクが餌を食べていた
何かいる!黒いカタマリが向こうで動いていた。ヤクの放し飼い。極寒でもチリン村はのんびりとしているのだった。
石の経文
旗の下には、サンスクリット語が刻まれた石。ありがたい言葉が書かれている。石は言葉を抱えて、ただ静かにチリン村であるのだった。
たくましい命たち
羊やヤギが横を駆け抜けていった。氷点下でも、特に生活を変えるわけでもない動物たちのたくましさ。
自然が生み出した家
石積みで基礎を作り、土で隙間を補い、屋根は木材で組んでいる。日本のような便利な建材は一切ない。自然界で賄えるもので家をつくる。
人が生活している気配
廃墟かと思いながら足を踏み入れてみると、納屋だった。比較的新しい木材が積まれている。
人間という存在
動物の皮で作った鞄がぶら下がっていた。その後ろには、最近、動物から剥いだと思われる皮を乾燥させている。人は、他の動物を利用しなければ生きることができない。定めと真っすぐ向かい合った生活が、この地で営まれている。
仏の言葉と出会う確率
またサンスクリット語が刻まれた石と出会った。村の中の大きな生活道が交差する場所に石が据えられている。めぐり会う場所に、仏の言葉。
歩いてここまでやって来た
どこから来たの?と聞くと、「ザンスカールからチャダルを通ってチリンまでやってきた」という。氷の状態はまずまずの模様。雪で閉鎖される村を行き来する唯一の道が凍ったザンスカール川を歩くチャダルなのだ。
小さなチャダル経験者
ザンスカールの男たちは、チャダルを通って成長していく。初めてチャダルを通ってきたというこの少年の心、目、考え方、すべてが数日前と異なるのだろう。
その先はチャダル
一家が歩いてきた方角に目をやってみた。この川の先にザンスカールはあるという。他に逃げ道のない凍った川のチャダルとは、いったいどのようなものなのだろうか。私は明日からこの川の先に向かうのだ。
氷点下の日常
村を一周して帰ってきてみると、鍛冶屋のおじさんはまだ仕事をしていた。動物の皮で作ったふいごを使いながら器用に銅が曲がっていく。ただの板だった銅は、使いやすそうなスプーンになっていた。チャダルの一家も鍛冶屋のおじさんも、これが日常なのだ。