静かに春を待ちわびる真冬のレー
見渡す限り白い5000m峰
冬のラダックには、飛行機でしか行くことができない。ヒマラヤ山中の冬は、大量の雪が道を塞ぐため、陸路移動は不可能なのだ。インド国内線に乗り込み、レーに飛ぶ。
雪が消え、高原が見えてきた
雪が少なくなり、茶色い高原が見えてきた。「ラダックだ!」。眼下には氷を抱いたインダス川。レーにあと少しで到着する。胸が高鳴った。
凸凹を繰り返すラダックの大地
飛行機はどんどん高度を下げていった。上空から見ていると平に見えた地表面は、実は大波のような起伏の連続だったのだ。
こんにちは!インダス川
インダス川が近くに見えた。思ったよりも氷が少なく、気温が下がっていないのかと感じたが、その印象は飛行機を降りて間違いだったと気付かされるのだった。
冬の顔をしたラダックが見えてきた
農地が見える。チョルテンが見える。何もない高原の大地が見える。冬のラダックが目の前に広がっている。ぐるりと飛行機は旋回し、レーの空港へ着陸した。
一番広く陽当たりの良い部屋
旧市街の中にある安宿へ投宿した。今回は長期滞在なので値段交渉をしてみる。「お客さんが誰もいないから、1週間以上泊まってくれるなら、一番広い部屋を100ルピーで貸してあげるよ」とのこと。冬のラダックには商売っ気がない。
王宮はレーの民を見守っていた
宿の屋上に登ってみた。土と岩の古い建物が一帯に広がっていた。厳しい自然の中を生きるレーの人々。その姿を王宮が見守っていた。
僧侶の心境は
町の中にラブラン寺という大きなお寺があるということで訪れてみた。ガランとした境内に僧侶が佇んでいたのだが、目の前をラダッキの女の子たちが歩いていくと、僧侶は垂れていた頭を起こし、ボーっと見ていたのだった。
ヒマラヤスタンダード
「チョウメンください!」。ラブラン寺からすぐ近くの食堂で、遅めの昼ご飯を食べた。チョウメンやモモは、チベットはもちろん、ネパールでもラダックでも食べることができる。ヒマラヤに暮らす民の標準食なのである。
ベジタブルチョウメン
冬のラダックのチョウメンは、野菜のみがほとんど。しかも、長持ちするキャベツと人参であることが多い。新鮮な食材を冬に手に入れることが難しいためなのだが、味はというと、これがなぜかうまいのだ。
レーの夕刻
ちょっと町を歩いていたら、すぐに陽が落ちてきた。淡いオレンジ色の光がレーの町を包み込み、やがて淡い紫色の光に包み込まれる。紫色は徐々に色濃くなり、夜が訪れる。
家族の一員のような気持ち
レーの旧市街の宿は、経営者の家族も暮らしていることが多い。母屋に立ち寄ると、「ま、お茶でも飲んでいきなさい」と声をかけられる。冬は泊まり客も少なく、部屋に暖房がない宿もあるため、そのような宿では経営者家族とホームステイのように触れ合うことができる。
6畳の魔法空間
レストランで仲良くなったラダッキたちはカメラに興味津々。「おれらの仕事場を写して」と言われ、厨房まで入ってみた。6畳ほどの何の特別な機材もないこの空間で、おいしい料理が生み出されてゆく。
レーの町並を眺める
明けて朝、レーの町のはずれにあるお寺に散歩がてら向かってみた。境内から見るレーの町並みは寒々とした空気の中、みんなで寄り添って生きている印象を受けた。
ストーブのチカラ
宿に帰ると、経営者の奥さんが「ストーブに当たっていけば」と言う。ラダックの冬は厳しいが、ブカリという薪ストーブや写真のようなガスヒーターが普及している。出力はとても高く、ゴーと大きな音を立てて炎が燃え盛っていた。今も昔もストーブがある部屋に人は集ってくる。
お婆さんとのコミュニケーション
部屋の隅にはお婆さんが座っていた。ラダック語とウルドゥ語しか話さないため、英語で喋る私たちとはコミュニケーションが取りづらいが、そこは年の功。ごにょごにょと話してくれる言葉が、感覚で何となく通じるのだ。
高い空と低い雲
ラダックに来て最初に思うことは、空が近いということ。そして、その空の先には宇宙が広がっているということ。今日は雲が次から次へとわいてくる。ラダックらしい気候に恵まれた。
野菜を干すおじさん
どうやら寒空の中、野菜を干しているようだ。何かを裏返す作業を続けていた。密集するように建つ旧市街の民家だが、丘陵に家が建てられているため、ある程度のプライバシーは確保されているのだろう。
明日の仕込み
顔なじみのレストランへ行ってみた。明日の仕込みだと、せっせと麺を台所中に作っている。この小さなレストランで、こんなにも麺を使うのかと驚いた。
明日を待つ麺
ラダックでは小麦が育てられている。季節になるとあたり一面が黄金色に輝くとのことだ。その小麦は冬場の大切な食糧となる。依然、ツァンパ(麦焦がし)も食されているが、麺も今では貴重な食糧であることは間違いない。この麺は、明日すべて使い切られる。
人気店の重労働
麺の仕込みが終わったので、そろそろお店も終了かなぁと思っていると、次は野菜を刻み始めた。時計は21時、仕込みの作業はまだまだ続くのだった。
うまい店の条件とは
観光客でごった返す夏と違い、冬のお客さんはほとんどが現地人。美味しい食堂を見極めるのは簡単だ。冬に混雑しているレストランこそが、現地人の人気店なのだ。
明日の7時まで
22時半、やっと次の日の仕込みが終わったという。明日のレストランオープンは7時。厨房は束の間の休憩時間に入る。そして、お決まりのビリヤードをしに行くのだった。
隠れた人気店
朝一番、例のレストランの下にはモモ屋があった。さらに小さな間取りで、厨房と客席の面積が同じくらい。儲かっているのかなと思ったが、とてつもない量のモモを調理している。そう、ここも現地人御用達の店なのだ。
シルクロードの証
麺類とモモ以外にも、ラダックの標準食がある。「ナン」というパンである。ただ、そのナンはインドのそれと違い、新彊ウイグル自治区から中央アジア一帯で見られる円形で模様がついたものである。インド領内だが、食文化の一端はシルクロードを示しているのだった。
結露がある場所の価値観
どの店に来ても結露がとても多い。それだけ中と外の湿度と温度の差が激しいのだ。薄いガラスのため、気温が低い日には、結露の端が凍っていることが多い。結露だなんて日本では問題だろうけど、ヒマラヤ山中では「湿度と気温があるところ」という風に見えてしまう。それほど外は乾燥して寒い。
テントゥク
テントゥクという料理と出会った。日本語で訳すと「チベット風すいとん」となるのだが、似たような食べ物はチベット圏はもちろん、中国国土内でも食べたことがある。このラダックで出会ったマトンテントゥクは、マトンの骨の髄まで煮出して出汁を取っているので、とても味が複雑玄妙。店によって味が異なるので、すべてがうまいわけではない。
大陸の会話とは
いつも調理場を見学させてもらうレストランで店を切り盛りしている雇われコックのロブサーン。冬はコックで夏はトレッキングガイドをしているという。チベットのアムド出身で、家はマイソール。住んでいるのはラダック。いつの間にか、いろんな料理が作れるようになっていたという。ポロンタを食べながら、「アムドに帰りたいなぁ」とつぶやいていた。
誰に何を…送っているの?
ネットカフェに来ると、ラダックの民族衣装を着た人が先に座っていた。どうやらお坊さんもいるようだ。いったい何をネットで話しているのだろう。気になったのでチラッと覗き見ると、どうやら英語でメールを送っているようだった。
とある店のテントゥク
別の店でテントゥクを頼んでみた。「チベット風すいとん」のはずなのに、なぜかしっかりと麺が入っている。もちろんトゥクパ(チベット風うどん)とはオーダーしていない。文化の発祥地から遠いと、さまざまな亜流が生まれ、元の定義が意味を持たなくなる。日本に流入している西洋文化もこれくらい変化していたりして、と思いを馳せた。
ヒマラヤ山中の辛味
ラダックで欠かせない調味料と言えば、このチリソース。唐辛子を大量に入れた鍋を丁寧にかき混ぜながら煮出していく。この辛みがテントゥクやチョウメンの味を際立たせ、寒い外に出ても大丈夫な体を作っていくのだ。
天空に瞬く星と王宮
星空を見に宿の屋上へ出てみた。どこが天の川か分からないほど星が空を埋め尽くし、瞬いている。そんな星空に感激する旅人の背後には、いつもと変わらない王宮がライトアップされているのだった。
突然の降雪
夜の間に雪が降った。朝起きると、何やら静かでいつもと雰囲気が違う。メインロードまで出てみると、人々の往来は少なく、ヒマラヤ山中の冬にいきなり直面した気になった。
雪の日のジュレー
現地の人たちにとっては雪は降ってしまうもの。淡々と雪の中を歩き、目的地へ歩いてゆく。顔を覆う布の奥から坂を登る息づかいが聞こえ、すれ違う時に「ジュレー」と挨拶してくれた。こちらこそ、「ジュレー」。
寒い日の挨拶
一人、二人とすれ違うたびに「ジュレー」と声を掛け合う。本来は「こんにちは」という挨拶の言葉なんだけれども、外国人の僕には「おはよう、今日は雪だね。寒いね〜」という会話まで込められているように感じる。
冬の陽のマニ壇にて
雪の日でも、お経を唱えながらマニ車を回し、チョルテンも決められた方に迂回していく。素直に自分に与えられた生を受け入れ、実直に生きる。
男という生き物
どの国でも男同士はじゃれ合って楽しむもの。雪の日のレーの市場でも、いい歳をした二人の男が格闘技ごっこをしていた。日本と同じなんだな…、同じ人間なんだな…、と思う瞬間が旅をしていると多々あるのだった。