鬼、骸骨、鹿。仮面舞踏とスピトクの冬

スピトクゴンパの小さな祠
スピトク村のスピトクゴンパでグストルという祭りがあるという。満員のバスを降りると、みんなが向かったのはスピトクゴンパよりも標高が高い場所にある小さな祠だった。

地域の神事
少年はスピトクゴンパをジッと見ていた。観光客のような胸の高まりを示す眼差しでもなく、無関心というわけでもない。ごく自然な地域の行事を、どのような思いでゴンパを見つめているのだろう。

目線の先はスピトクゴンパ
少年が見つめていたスピトクゴンパは、レーから最も近い歴史息づくゴンパである。

スピトクゴンパのご本尊
ゴンパの中に足を踏み入れると、ご本尊が並んでおり、経典が納められていた。通り過ぎる時に、みな深々とありがたそうにお参りをしていた。

蒼空のプージャ
ゴンパのテラス部分に出てみると、プージャが行われていた。蝋燭をたくさん壇上に置き、お経を唱えながら火を移していく。時には経文が書かれた紙が燃やされていた。

スピトク村を一望する
いよいよグストルが行われる中庭へ。途中で窓から中庭が見えた。人々が中庭を囲むように陣取り、準備が進められていた。その向こうにはラダックの大地が延々と広がっていた。

グストルまで間近
朝8時頃にも関わらず、すでに良い席はすべて埋まっており、地べたに腰を下ろした。ラダックの空、スピトクゴンパ、スピトク村の人々、これから行われるグストルに思いを馳せる。

仮面を被った僧侶
ブォーと音が鳴り、鐘のようなものが鳴り響いた。ラダック特有の音楽に合わせて、仮面をかぶった僧侶たちが中庭に現れる。長い長い仏教の法則と価値観の世界が今から始まる。

仮面舞踏が朝陽に映える
踊りの動きは時に大胆で、時に繊細。人々は囃すわけでもなく、ノリノリになるわけでもなく、ただジッと踊りを食い入るように見ていた。グストルの中で、この仮面舞踊はチャムと呼ばれている。

ゲルグパとして
スピトクの宗派はゲルクパ。宗派によって定められた手順どおりにグストルは行われている。人の仮面の踊りは、聖人伝や人情物、善と悪との闘いや地獄の恐怖を体現しているという。

寒空に一体感
時折、太陽が雲に姿を隠し、寒風が通り過ぎるスピトクゴンパ。零下の気温の中、僧侶と観客が一体となって、祈りが捧げられる。

次の仮面の登場を待ちわびる
次々と異なる仮面を身につけた僧侶が音楽に合わせて現れる。時に物の怪、時に人、時に神様。場面場面で、ゲルグパ独特の価値観が華開いていく。

太陽光が仮面に反射して
天候が良くなり、燦々と太陽の光が降り注ぐ。と、そこに金色の仮面を身につけた僧侶が降りてきた。仮面の角度によって太陽光がチラチラと反射して、とても神々しい。スピトク村の人たちとともに、金色の仮面に惹き付けられていた。

みんなで向かうグストル
スピトクのグストルは、2日間に渡って行われる。今日は2日目。レーからも多くの人がバスに乗り込み、スピトクのグストルを訪れる。

スピトク村からの歓迎
どこから来たの?と尋ねたら、すぐそことスピトク村を指差した。インダス川沿いに小さな家が点々と続いている。「あなたは?」と私に質問がやって来た。答えると「ジャパニーのお兄さん、寒いでしょ」だって。

タンカご開帳の道のり
今日はタンカがご開帳になる。タンカとは、簡単に言うと巨大な仏画。祭りが始まるまでは布で覆いが掛けられているが、建物3階分という巨大さに目を奪われた。

2日目のグストルが始まった
今日のグストルは、僧侶がたくさん出てきて経文を唱えながら、楽器を演奏することから始まった。みんなで耳を澄ませて聞き入る。

祈りは天空へと
シャーン、シャーンと読経の途中で入るシンバルのようなチベット楽器。音が鳴る度に、抜けるような空にお経も楽器の音も吸い込まれてゆく。

寒空のグストル
こちらの楽器はドゥンと言い、ブォー、ブォーと鳴る。子どもたちの僧侶は、神様にお供えする宝物を持っていた。

音が紡ぎ出されたその時
ドゥンやンガという枠太鼓が鳴り、打楽器がシャリーンと音を出す。自由に発散されているかのように聞こえた音が、やがて集まり、人々の想いとともにひとつの意識のようなものに紡がれてゆくのだった。

大タンカのご開帳
読経と音楽のクライマックスが訪れ、その終焉とともにタンカに掛けられていた布が取り払われる。大タンカ。チベットやラダックの民にとって、このタンカを拝み見ることほど幸せなことはない。

今日はめでたい!
タンカのご開帳とともに、村の有力者なのか、その年に定められた者なのかまでは分からないが、僧侶たちと話したりお辞儀をしたりしていた。

そしてチャムが始まった
一通りの儀式が終わると、僧侶たちと仮面の僧侶たちが出てきた。これからクライマックスに向けて、今日も仮面舞踏が行われる。

昨日とは違う仮面舞踏
たくさんの同種の仮面が一気に出てきた。昨日も見た「人の顔」の仮面たちが踊る中、顔が茶色の仮面が一人おり、昨日とは違う展開に驚かされた。

カタに込められた思い
仮面を被った僧侶たちは、心からの敬意を示すカタを人間の僧侶から受け取る。人から神へ。ラダックの人々は、常に神様への感謝を忘れない。

守護尊が現れた
そしてたくさんの仮面の僧侶が現れた。この仮面、見た目は恐いが、すべて守護尊。つまり神様で、さまざまな舞踏を見せてくれる。

鹿と憤怒
シャワと呼ばれる鹿の仮面と、三眼の忿怒相仮面。頭上に見える五つの髑髏は、人間の五罪(貪欲・妬み・愚かさ・幼稚さ・欲情)に対する克服の象徴と言われている。

ラダックで大黒天と出会う
シャンとともに踊る青色の仮面は、おそらくマハーカーラ。日本で言う大黒天で、観音の化身。仏法と衆生を魔から守る・チベット仏教の忿怒尊である。

神様による踊りが目の前で
たくさんのラダッキに見守られ、グストルが進行していく。大黒天に続き、吉祥天も現れた。

仮面舞踏の衣装
チベット語ではパンデン・ラモと言われる吉祥天女。さまざまな仮面の衣装よりも、特に手が込んだ縫製が成されている。頭上の傘にも孔雀の羽のような装飾が成されていた。

神聖なる仮面
仮面のほとんどは、紙や布で作られたものだが、中には金属製や木製、牛などの皮で作られるものもあるという。重要な仮面は、本堂で飾られているという。

悪霊を退治して今年の豊年を祈る
途中、骸骨の道化役者アツァラが現れ、観客にちょっかいを出したり、ダオと呼ばれるツァンパの人形を破壊したりしながら、グストルはクライマックスへと向かっていった。

地域と自分の幸せを祈って
今年のグストルもいよいよ閉幕。みんなが、満足と残念を胸に交錯させ、今年をがんばって生きようと祈るのだった。見つめる眼差しは最初から最後まで真剣そのものだった。

タンカが仕舞われてゆく
仮面舞踏が終わり、タンカに布が掛けられ、今年のグストルは終わりを告げた。人々の心の中に、来年までつながる温かさを宿し、終了が告げられるのだった。

また来年のグストルまで
タンカが仕舞われると、人々がお喋りをしながらゴンパを後にする。一気に帰宅するのではなく、名残惜しそうに、徐々に去っていく。ゴンパからインダス川沿いに下りると、日本の昔の正月のように、このときを逃すなとばかりにトランプやルーレットに興じているのだった。

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