高山に見守られた蝸牛のようなゴンパ
ピピティンへと続く道
パドゥムを出発した。無風、快晴、とても気持ちがよい朝。あまりにも見晴らしが良く、目的地のピピティンが遠くに見えていた。
大量のガスボンベ
峠の積雪によって閉ざされた地となるザンスカールでは、夏場に冬の準備をするという。中でもガスは死活問題。大量のガスボンベがストックされていた。
「ジュレー」という挨拶
一本道を歩いていると、こちらに歩いてくる人と点々と出会う。「ジュレー」と声を掛け合うのどかな田舎道。厳しい自然の中に暮らす人々は、とっても温かい。
仏の心が見守ってくれる
チベット文化圏をちょっと歩けば出会うチョルテン。村の中はもちろん、街道沿いにも数多く見つける事ができる。仏の心を表す仏塔が、住民や訪れる旅人を見守ってくれる。
パドゥム郊外の村
ピピティンまでの道中に小さな集落があった。子どもたちが家の片隅で遊んでいた。
カメラに興味津々
パチリ、パチリと写真を撮っていると子どもたちが集まってきた。「何やっているの?」という感じではなく、明らかにカメラを知っていて、興味がある様子だ。
ザンスカール遠景
村を抜けていくと、だんだん家と家の間隔が広がってきて、まばらになってきた。向こうの方に見える山と山の間を進んでゆくと、雪で閉ざされた峠があるという。
誰もいない雪原
ピピティンは小高い丘の上にある。誰かが登った痕跡を探す。見渡す限り、私以外の人間は見当たらない。ただ、足跡は無数にあるのだった。
トレイルとゴンパを発見
やっと見つけたトレイルを辿る。眼前すぐのところにピピティンゴンパがあるのだが、ゆっくり登ったために、なかなかたどり着く事ができなかった。
ピピティン展望
登りきった場所で、顔をあげてみた。宿泊しているパドゥムがはるか遠くにあり、眼下には雪原が広がっていた。
陰影と氷
建物を回り込むと、強烈な太陽光が織りなす陰陽に彩られた中庭が表れた。中心部には旗がついていて、ダラリと垂れ下がっている。足下は雪のように見えるが、踏みしめた感触は氷。歩くとガリガリと音が鳴った。
出会うことはなく
誰も出てこないので、こちらから僧侶を探すことにした。「お〜い、誰かいますか?」と声をかけるも、声は暗い部屋の中に吸い込まれてゆく。影側の窓が凍り付いていた。
ピピティンゴンパ近景
残念だったが、ピピティンゴンパの周囲を一周してみることにした。
ゆらめくタルチョ
無風の日のタルチョは、なんだかとても平和に見える。いつも突風にあおられてバタバタとはためいているのだが、今日はお休みに違いない。
返答
ゴンパからザンスカール川の方を見ると人が数人歩いていた。「おーい」と声をかけると、ラダック語かヒンディー語にようなもので「おーい」と返ってきた。
碧空と仏の心
立派なチョルテンが建てられていた。人々はこの周囲を回って祈る。紺碧の空が地球を包み込んでいた。
現世の形
ピピティンゴンパは不思議な建物だ。見る角度や距離によって、建物の見た目が違う。それは、全景を知らぬ者にとって、全景をつかめないということを意味する。これだけ見るとただの四角い建物でしかない。この不確定さがこの世のあり方のようでおもしろかった。
赤、白、黒
ちょっとピピティンの丘を下っていくと、三連チョルテンが見えた。
碧空の下の問答
経典は「仏の言葉」、仏像は「仏の体」、チョルテンは「仏の心」を表しているという。この赤、白、黒という色にどのような意味があるのだろうか。
新しい散歩
向こうに集落がある。何だか音が聞こえてくる気がする。まだ太陽も高い。行ってみるとするか。
雪原の中の学校
音のする方角に向かって歩いていく。ガイドブックには湿地や農地、道などが丁寧に書き込まれているが、冬はほとんど関係ない。すべて雪原だ。
笑顔の案内者
「ついてきたら?」。突然、少年が現れ、そんなことを話しかけてきた。何度も振り返るその表情はいつも笑顔だった。
ポタンゴンパ
いまでもザンスカール王の末裔が住むというポタンゴンパ。ピピティンゴンパにまで聞こえてきた音は、ここから流れていた。
紡がれる祈り
音はポタンゴンパに近づくほどはっきりと聞こえてきた。プージャ(祈祷)をスピーカーで流していたのだ。近隣に住む民たちが集い、熱心に祈りを捧げている。
みんなのプージャ
中に入れないラダッキたちがポタンゴンパの前で一列になって祈っていた。どこからともなく犬が現れた。普段凶暴なヒマラヤ山中の野犬だが、今日はおとなしい。
ラダッキの心
ここお経が聞こえてくる。ポタンゴンパは外国人に寛容なのは知っていたので、中に入ろうかと思った。でも、入れなかったラダッキのことを考えると、なんだか悪い気がして、中に入るのはやめてしまった。
母の暮らし
皮のマントを纏ったお母さんが、子どもの服を直していた。晴れているとはいえ氷点下、雲がかかれば寒さが増す。隙間がないようにきちっと服を着せていた。
カタツムリのゴンパ
ポタンゴンパからパドゥムに帰ろうと、来た道を引き返す途中でピピティンゴンパが見えた。そうか、だから蝸牛の形をしていると言われているのか。
雪でも元気よく遊ぶ
遠くから歓声が聞こえてきた。子どもたちが遊んでいるようだ。
いつかはきっと
歓声が気になったのか、近所の子どもが羨ましそうに声がする方角を見ていた。僕もよせてほしい!
名スキーヤー
近づいてみると、スキーをしていた。塩ビパイプを半分に切り、木のゲタのようなものに取り付けた特製のスキーだ。
一歩一歩の上達
リフトなんてもちろんない。この坂道をひたすら登って、ひたすら滑り降りる。もしかしたら背後の5,000メートル峰から塩ビパイプスキーで滑り降りる勇者が現れるかもしれない。
イェーイ
スキーばかりかと思ったら、ソリも登場。少ない道具と素材で、きっちり遊ぶものを作る。ザンスカールの少年たちは工夫と興味で生きている。
ヤクと鼻水
スキーの子どもたちと別れ、パドゥムに一番近い村を通った。ヤクが駆け寄ってきた。エサをくれるご主人様と勘違いしたのだろうか。ヤクの鼻水は凍っていた。
気配はするものの
人の気配はするのに、なかなか人と出会わない。ひっそりとした雰囲気でなく、何か熱のようなものは感じるのだが。
自然とは自由だ
ありがたい仏の彫刻にも鳥の糞。
村の中心地
人口100人以下くらいの村には、必ず中心地があり、そこに仏の石と経文の旗が据えられている。
自然の摂理
村の中心地で石を眺めていると「おーい」と声がした。記念写真を撮ってくれと頼まれる。探しているときは出会えず、忘れた時にやってくる。呼んでくれてありがとう。
ご当地の流儀
ソリは子どもの遊び道具かと思っていたら、大人が道をがんばってこいでいた。平地は運んで、坂道で下ればいいと思うのだが、それは常識ではないようだ。
雪山の暮らしと知恵
ソリの男が立ち去ると、馬に乗る男が表れた。平原や雪原を効率よく移動する手段は、車だけではないのだ。
待ち受ける子どもたち
ふいに子どもたちが押し寄せてきた。行きの道で会った子どもが、帰りを待っていたのだ。しかも、友達をたくさん集めて。もちろん撮影会が始まる。
純粋心
もう、なんとしてでも撮影してくれと言わんがばかりに動き回る。とても純粋で素直。資本主義に生きるインドのため、開発されることはあるとしても、この心は失わないでほしいと感じたのだった。
あたしたちも撮って
ちょっと年上の女の子たちが学校から帰ってきた。「あんたたち、何いいことやってんのよ」。年長のお姉ちゃんがカメラを横取りする。
さぁ撮って
通りすがりの村のおばちゃんも、「あらいいわねぇ」という感じで近寄ってきた。子どもたちは前に行かせてあげるものの、「私も写るわよ」という動きに心から楽しくさせられた。
巨大な落とし物
トラックが落ちていた。しばらく動いていないのか、窓ガラスが割れていた。春になれば雑草に覆われるのだ。
ドルジェイおじさん
宿の向かいに雑貨屋があり、ドルジェイというおじさんが切り盛りしていた。水やお菓子を買っていたので顔なじみ。「ピピティンはどうだった?」と聞くので「素晴らしかったよ!ポタンにも行った」と言うと、満足そうに頷くのだった。