ルーマニアの国土をバスで揺られる旅

ルーマニアの乗合バス
日本で言えば、ハイエースくらいの車が乗合バスとして活躍している。アフリカやアジアのようにすし詰めというわけでなく、定員はしっかりと守っている。

乗合バスの最後尾
荷物を乗せるスペースは大きい。おそらく日本人なら「ここも座席にすればいいのに…」と感じるスペースが残っている。

快眠移動
乗車定員が決まっているので、意外と自分のスペースが確保できる。見慣れた風景が続くのか、ローカルの人たちはすぐに寝てしまった。

休憩は突然に
乗合バスは、町や村を経由する度に人を入れ替えてゆく。お客さんが埋まるまで休憩時間となった。

目的のバスを探して
乗合バスが停車する場所はだいたい決まっているらしい。別の行き先に並ぶ人たちがたくさんいた。

長距離バスの旅
次は長距離バスに乗ってみた。出発地はオーストリアのウィーン。目的地はブカレスト。夕刻に国境のアラッドを抜けた。

トラッカー
給油の休憩だったが、多くのトラックドライバーが出入りするガソリンスタンドだった。

欧州を結ぶ人たち
革命から、自由を自分たちの手で勝ち取り、社会主義国でなくなったルーマニア。人やモノの流通が活発化していた。多くのトラックがアラッド国境を行き交う。

バスの車内
短い休憩を終え、バスはブカレストを目指して走り出した。

農村景観が続く
麦の収穫の時期を迎えていた。ずっと黄金色の畑が地平線まで続く。おだやかで…のどかで…。ここまで来るのにどれだけの苦労があったのだろう。ルーマニアは明らかに自由と活気を取り戻しているところなのだ。

色づき始めたモノクロ写真
シビウ近郊。まだアスファルトはひび割れ、車も古い形式のものが走っている。建物も古い。人々の表情もどこか冴えない。それが灰色と呼ばれる所以だが、灰色としか感じない人は、この国が微速でも前進をしている歴史と現状を見据えていないのではないだろうか。

どこからどこへ
路面電車が到着すると、こんなにも人がいたのかというほど、通りに人が溢れ出した。数分後、通りには人がほとんどいなくなった。

とある家族の午後
公園では、親子がブランコで遊んでいた。ルーマニア、シビウの午後。

日々の営み
周囲を見渡してみると、日本と似たような集合住宅と裏山、そして駐車場。今日、ここでも日々の生活が営まれている。

シビウ駅前
鉄道駅へ行ってみた。もうすぐ鉄道が着くのか、黒い旧型の車と持ち主が時間をつぶしていた。

駅前のキオスク
ルーマニアだけでなく、旧共産主義圏の駅前には、パンや雑貨を売るキオスクが並ぶ。

キオスクへの来客
おばさんがパンを買おうかとキオスクに近付く。しかし、おばさんはパンを買わずに立ち去っていった。

ガランとした駅
共産主義圏の地方都市の駅は、どこも大ざっぱなつくり。シビウもまた例外ではなかった。

シビウ駅の昼下がり
駅に改札はなく、プラットホームまで入ることができた。奥に見えるのはチケット売り場。何人かが切符を買おうと列を作っている。

線路を使えば
この線路を伝っていけば、西はポルトガルまで、東はトルコまで行くことができる。東西冷戦が終わり、移動は自由になったが、活用できる人はまだ少ない。

プラットホームから見た風景
目の前には窓ガラスが割れても操業している工場、草がぼうぼうに生えた線路が広がっていた。人間文明の脆さと自然の力強さが浮かび上がっていた。。

次の目的地へ
バスの休憩時間が終わり、シビウを出発する時間になった。似たようなバスがたくさん来るのだろう。人々が次のバスを待っていた。

地球の上のルーマニア
シビウからブラショフまでの間には、広大な緑の大地が広がっていた。山野、農地、家、川、空、雲、人が生きるために必要なものがすべて揃っている。

広がる農地
山野、農地、宅地がこのエリアではずっと繰り返される。美しき暮らしの日常が、目の前に広がっていた。戦争、共産主義時代、資本主義時代と移行しながらも、「農」を主体とする暮らしが国を支えている。

バスの運行状況
バスは一本道をひた走る。ボロ車は抜き去り、高級車やスポーツカーには抜かれる。アジアもヨーロッパも同じである。

馬車はまだまだ現役
バスは何度となく馬車を抜いた。ある時は農作物、ある時は家族を乗せて馬車は舗装道路を走る。アスファルトと車の交通量は異なるが、馬車は人類が永々と続けてきた知恵である。

驚きのスピード差
バスはあっとう間に馬車を抜きさっていった。こんなにも速度が違うのかと驚いた。

渋滞のブカレスト
夜、ブカレスト近郊まで近付くと、渋滞に見舞われる。延々と続くテールライト。久々の大都市なたではの光景に目がチカチカしてしまう。バスは国中のあらゆる風景を見せながら今日も走っている。

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