相馬と新地町
のんびりとした風情を残す相馬と新地町。
ベッドタウン半分、一次産業半分のエリアで、
仙台に通う人もいれば、原町の火力発電所などに通う人もいる。
もちろん新地発電所に通う人も多い。
農地が広がり、漁港では名産品のつぼ鯛が串に刺されて焼かれている。
言ってみれば、普通の地方都市だった。

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▲2007年撮影 相馬原釜漁協

若い人の興味をガンガン魅ける場所ではないのは確かだが、
豊かな自然を近くに感じながらも、
ただただ普通の日本人として暮らしてきた地域だ。

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▲2007年 相馬バイパスより西を見る

2008年、ここで相馬バイパスの開通式典と
植樹祭があり、その撮影に行った。
近くの小学生たちが、一生懸命、木を植えた。

「お兄ちゃん、この木、どれくらい経ったら大きくなるの?」
「そやなぁ、5年でもそこそこの大きさになるで。
 大きくなるの見るんはおもろいもんやで」
そう聞くと、その子は、しゃがんで
いま植えた木の根本を、うんせ、うんせとさらに押し固めた。
がんばって育つんだぞ、という風に。


長い長い「当たり前」を取り戻すまでの道。
ほんと何もできなくて、微力ですらないかもしれないけど、
一度でも訪れ、その町の人と会話した場所には
やはり思い入れもあるから一助になりたい。

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▲2007年 壊滅的被害を受けた常磐線(駒ケ嶺 付近)

被害の様子は確かに真実である。
でも、住んでいた人にとっては、
新しい暮らしが回転し始めるまでは
津波前の景色こそ、真実の風景だ。
神戸市出身の私は、いまになっても、
「神戸市長田区 震災前の写真」と検索する時もある。
だからこそ、あえて津波前の風景をアップした。

何度か訪れた身として、福島県相馬市と新地町にエールを送る。
フレー!フレー!相馬!
フレー!フレー!新地町!


【後日、追記↓】
調べ物をしていたら相馬の松川浦の津波が時事通信で報じられていた。
言葉が出ない…。
どうか、みなさんご無事で。
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