ラダックはインドヒマラヤ山中に位置している。極寒の冬にはさまざまな物資がなくなり、玉子すらなくなる。

冬から春になる時期のラダックの玉子料理

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玉子待ち

ラダック バスゴー
インド/2004年

玉子の話である。あの楕円形で、割ると黄色い部分と白い部分が出てきて、黄色い部分がとてもとても美味しい、あの玉子の話である。

ただの玉子のエッセイか…、と落胆される方も多いと思うが、みなさんはとても玉子のお世話になっている。だからそんな反応ができるのだ。朝食も、昼食も、夕食も、どれも玉子を食べる可能性があり、パンやお菓子が好きな人は大量摂取しているため、玉子が身の回りに溢れ返っているだけに過ぎない。その飽食の時代に、2か月ほど玉子と縁がなかった日々の話を、ぜひ記したいと思って筆を取った次第である(本当はキーボードを叩いている)。

インドの奥地、チベットに隣接するほど奥のヒマラヤ山中に「ラダック」という場所がある。その他のヒマラヤエリアと同じく、高地に位置していて、冬はとても寒い。私が滞在した1月から3月は、夜にはマイナス25度まで冷え込む。ひどい日はマイナス30度を超すこともあるくらいだ。
地球は広いもので、そのような場所は世界中にいくらでも存在する。この「ラダック」地方が他の寒い場所と大きく異なるのは、冷蔵庫がないことである。日本人の感覚からすると、冷蔵庫は冷やすために持つものだ。だが、超寒冷地に住む人にとっては、食材を適温に保つための保温器具となっているわけで、凍ると変質したり割れてしまう玉子は、この保温器具なしに保存することは不可能となっている。

また、冷蔵庫が使える環境ということは、電気が通っている環境を意味する。世界のたいていの場所では、火力発電や原子力発電で、国内の寒冷地に電力を送っているという。しかしながら、ここ「ラダック」の発電方法は、水力。このエリアには、川が凍ってできる冬だけのシルクロード「チャダル」が存在するほど寒いのに、水力で住民の電力を補っている。電気をまったく使えないことはないが、日中の限られた時間だけしか通電していない。たびたび停電するし、夜も決まった時間になると電気が消えてしまう。つまり、冷蔵庫を持つ意味なんてまったくない。野菜は凍らしておけばよい。

「ラダック」の民に玉子が供給されない時期は非常に長いという。12月にはなくなり始め、2月いっぱいまでは見ることはほとんどない。この地域にトラックが来るためにはヒマラヤ山中の雪が溶けるまで待たなければならないからだ。また、トラックが来れたとしても、冷蔵機能などついていないトラック。おまけに、飛行機でわざわざ玉子を運ぶ商人もいない。玉子はラダックに来ることができない、というわけだ。

この時期に訪れた人なら経験しているだろうが、冬のラダックの料理は、レパートリーが極端に少ない。野菜、鶏、マトンを素材にした、ネパールからやってきた餃子の「モモ」、中華風ヤキソバの「チョウメン」、ほうとうや刀削麺のような「テントゥク」くらいしかない。せめて、せめて玉子があれば…。そう何度思ったことか。耐えに耐え、玉子と巡り会う日は突然やってきたのだった。

(右上へ)

冬のラダックに玉子はない。バスゴーでその年始めての玉子を食べた。
2004年の旅で、私はラダックの西側少しと、凍った川を3日以上歩き続けて到着できるザンスカールを回った。1月の中旬について2月の末まで滞在したのだが、到着した時にすでに玉子の存在はなかった。レストランに行き、玉子入りのものを頼もうとすると「ない」。別のレストランで、メニューを見ると、もともと玉子チャーハンがあったと思われるところにはシールが貼っている。最初は気にもならなかったのに、人とは間抜けなもので「ない」と聞くと無性に意識してしまうものだ。

その日から、私はメニューの中に「egg」の文字がないか、常に確認するようになった。取り消し線が引かれていなかったり、シールが貼っていなかったりすると、すかさずオーダーするのだが、決まって消し忘れで「ない。ごめん」と申し訳なさそうに言われるのだった。

ラダックは先にも書いたように、冬はとても寒いところで、バスやジープで移動できないため、観光客の姿はほとんどない。地元のラダッキも冬はいたくないようで、多くの人が出稼ぎでラダックから出て行ってしまう。店鋪のオーナーも例外ではないようで、店に残ったものに聞くと「オーナーは別の商売でダラムサラにいる」と聞くことがしょっちゅうだった。
店を切り盛りしているのは若い青年や少年ばかり。そんな子たちに「ない。ごめんね」なんて言わせてしまうのは大変恐縮なのだが、本音を言えば日に日に食べたさは増すばかりだった。

あ〜、玉子入りの料理が食べたい。

2か月弱のラダック旅行の中で、さらに寒冷地のザンスカールでは玉子と出会えるわけもなく、ザンスカールから帰ってきてラダックの西側を旅していても見かけることもなかった玉子。僕はこんなに玉子が好きだったのか。体が黄色くなるほど玉子が食べてみたい。サッカー選手に玉子を投げていた人がいたけど、あの玉子はもったいない。などなど思いながら旅をしていた2月の20日。ふとバスゴーで入った店に玉子があるではないか!

店のおやじは聞いてくる「お客さん、何にします?」。僕は答えた。「た、た、た、た、玉子くださいっっっ」。おそらく声は裏返っていたであろう。ここで普通の日本人の店員なら「玉子がやっと今日、入荷したんですよ!」とか「お客さんも運がいい!」とか「こんなチャンス滅多にない」となるんだろうけど、おやじは至って普通だった。「はい、フライドエッグ2個ね」。

至って普通なのである。玉子が何か月もなくて、やっと入荷した玉子だけど、別にありがたいことではない。これがラダックの持つ「普通」ということなのだ。普通とは何か、常識とは何か。いま世界中で叫ばれている「世界標準」なんてできるはずがない。民族の個性というものは、玉子ひとつにまで染み込んでいるのだから。


玉子待ち/ラダック バスゴー

ラダッキ…ラダックで暮らすラダック固有の人種。以前はラダッキばかりだったラダック地方だが、現在は普通のインド人やチベット人(チベタン)も暮らしている。

2004年「ラダックのバスゴの写真」もあわせてご覧ください

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