アフガニスタン南部の都市、タリバン支配地域に近いガズニでのエピソード。

ガズニの不良警察とアフガニスタン国軍の男たち(アフガニスタン)

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アフガニスタンはガズニの兵士と不良警察銃がそこかしこに溢れている。つまり、争いや死も、そこらじゅうに溢れている。これは、平和な国の人には想像もつかないだろうが、アフガンでは当然のことだ。何十年も、大国によって戦乱の場にされているのだから。

殺し自慢

ガズニ
アフガニスタン/2004年

人生とは、常に選択の連続である。「あのとき、こうしていたら…」ということばかりで人生は積み上げられているようなものだ。2004年4月下旬。私は取材パートナーの片山氏とともに、アフガニスタンのガズニという町に隣接するバラヒッサール丘の上にいた。「おまえ、人を殺したことはあるか」「ないなら銃をやるから、いまから殺してこい」。雪崩のように、物騒な言葉が飛び交う。これはマズイことになっているのでは…、片山氏と私はこっそりと目を合わせて、次の行動の確認を取り合っていた。

周囲にいるのは、民族衣装のシャルワルカミースを着たアフガニスタン人が5名、軍服を着た男が3名。場所は、対空ミサイルを配備した丘の上の基地。なぜ、このような場所にいるのかというと、丘を歩いていたときに「お茶でも飲まないか」と、お誘いを受けたからである。その時に声をかけてきたのは、3人のシャルワルカミースを着たウズベク系のアフガニスタン人。着いていくと、基地のような建物だった、というわけだ。

最初は日本人という存在やカメラが珍しいのか、気さくだった。「おい、おれを撮れ」と言われ、写真をデジタルカメラで撮影して、どんな写真だったのかを見せる。笑顔が溢れる。「おれも」「おれも」と、どんどん写真を撮る。見せる。笑う。そのくり返しの和気あいあいとした時間が、ほんのちょっと前までは流れていたのだ。

世界各地で共通のことだが、人の輪は人を呼ぶ。頼まれるまま撮影し続けていると、小一時間が経った頃には10名弱のアフガニスタン人に囲まれていた。みんな、「おい、楽しそうだな、おれも撮ってくれ」と写真撮影の輪に加わってきたのだ。何杯目かのお茶を流し込み、そろそろ帰ろうとすると、写真とは違う話題へとなっていった。「おまえ、タリバンについてどう思う?」

この時、私と片山氏は重大なことに気が付いた。「目の前のアフガニスタン人は、タリバン側なのか、その逆なのか」。答えを誤ると、深刻な事態に落ち入りかねない。目の前の男たちは、数名はウズベク系、でも数名はパシュトゥン系。どちら側の立場なのか確信は得ることができないため、言葉を選びながら慎重に答える。「どの民族も、アフガニスタン人だ」。そうすると彼らは答えた。「おれはタリバンを10人殺した」。

男がそう言うと、堰を切ったように殺した人数の話になった。「おれは20人だ」「おれは30人だ」「おまえ、サバ読むな」。生まれた頃から戦乱の世に生きてきたアフガニスタン人ならではの言葉だ。少なくとも私のような日本人がアフガニスタンに身を置くことがあるとすれば、「殺したこと」よりも「生き残れたこと」に価値を置く。その殺し自慢をする若い男たちが、とあるお爺さんを指差した。「彼は数えきれない。だから英雄なのだ」。敵を殺した人数こそが、男の価値を上げる。アフガニスタン南部では、何らおかしなことのない常識である。

物騒な話題だけに、この話が過ぎ去るのを待っていたが、「で、おまえたちはどうなんだ?」と、男たちは私と片山氏に尋ねてきた。「おまえたちは人を殺したことがあるか?」。「ある」と言えば人数や相手やシチュエーションを細かく聞かれることだろう。「ない」と言えば、何がおこるか予想できない。しかしながら、ないものはないので「ない」と答えてみた。
一瞬の沈黙の後、まるで珍しいものを見るような目つきに変わり、一同大爆笑となった。「ひひひ、こいつ殺したことがないんだってよ。信じられん。何やってるんだろう。男だろうか」。だいたいそのような評価だったと思う。すると、また別の男が口を開いた。「おまえ、今から人を殺してこい」。

驚いている間もなく、英雄の爺さんが銃を持ってきた。無言で差し出される、ライフル型の銃。私や片山氏に、この銃を受けとって何をしてほしいのだろう。もちろん、人を殺すなんて考えられない。「そんなこと、おれたちにはできない」。そう断ると、一同がざわめき始めた。これは今となっては憶測に過ぎないが、「親切を断られた」というようなリアクションだった。みるみる一同が怒気を帯び始める。何名かは悪ふざけだったのか、爆笑しているが、何名かは本気で怒っている。私は片山氏を見た。片山氏も私を見ていた。

なんとか「何もしていない人を殺すわけにはいかない」と説得する。そんなときに奥から声がした。「おまえら、メシを食っていけ」。このままこんなところにいては、何がおこるか分かったものではない。もう、ここを出たい。片山氏も、目でそう語っていた。
「あの、そろそろ用事もあるので帰りたいんですが…」。そうすると、今まで爆笑していたアフガニスタン人も怒り始めたのだった。飛び交う怒号。「言葉がわからない」ということを盾に、私と片山氏は早く出たい気持ちと、焦っている態度を見抜かれてはならないという思いを交錯させながら、建物を出ようとした。

「待て」「帰るな」。口々に男たちは怒号を浴びせてくる。腕を掴まれたりしたが、可能な限り丁寧に振り払い、外へ出た。怒号がまだ飛んでくる。男たちは私と片山氏に石を投げ始めた。足を速めて敷地を出る。坂を急いで下る。まだ、石が飛んでくる。もう、そろそろ…と思って振り返ると、まだ石を投げていた。逆の手には銃を持ったまま。何かを間違えると、あの銃でズドンだったのかと思いながら、逃げるように坂を下っていった。声が届く距離、石が届く距離、銃弾が届く距離。どんどん安全になるものの、最後の「銃弾が届く距離」まで、生きた心地がしなかった。坂を降りきったところに兵士の絵の落書きがあり、蜂の巣のように銃弾が浴びせられていた。

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